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盗まれた仏像の行方

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[盗まれた仏像の行方]2023.12.1

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 学生時代に日本史で、仏教が日本に伝来した年である538年をごさんぱい(ご参拝)とおぼえたものですが、これは、百済の聖明王が、538年、大和朝廷の欽明天皇に、仏典などを送ったことを以って仏教伝来と言われるものです。その際に、聖明王は、欽明天皇に対し、金銅の仏像一体をも合わせて送ったとのことです。この仏像は、相当輝いていたものと言われ、日本の人々は、そのことを“きらきらしい”という表現で表していたとのことで、当時の人はキラキラした仏像を先進的な朝鮮文化としてあがめていたのではないでしょうか。そのような仏像が、日本における仏教の伝播に大きな役割を果たしたことは想像するに難くありません。たくさんの仏像が日本に伝来したのですが、それは贈られたものもあれば、買い付けてきたものもあれば、それこそ秘かに持ち込んだ正式なルートではないものもあったのでしょう。

 今年の10月26日、長崎県の寺から盗まれその後韓国で見つかった仏像をめぐり、韓国の寺が所有権を主張し引き渡しを求めていた裁判で、韓国の最高裁判所は原告側の訴えを退け、仏像の所有権は長崎県対馬市の寺にあると認める判決を言い渡したという報道がありました。事実関係によると、2012年に長崎県対馬市所在観音寺から県の有形文化財に指定されていた仏像「観世音菩薩坐像」が、色々な経緯を経て、韓国で見つかったものです。そして、韓国中部にあるプソク(浮石)寺が「当該仏像は、中世の時代に倭寇に略奪されたものだ」として寺の所有権を主張し、盗難物として仏像を保管していた韓国政府に引き渡しを求めて裁判を起こしたのです。1審の地方裁判所は、プソク寺への仏像の引き渡しを命じましたが、控訴審の高等裁判所は2023年2月、1審判決を覆し、日本の観音寺が20年以上公然と当該仏像を占有してきたとして、日本の観音寺の時効取得を認め、プソク寺への引き渡しは認められないとする判決を言い渡し、プソク寺側がこれを不服として上告していたものに対する最高裁の判決でした。韓国の最高裁判所も、「日本の民法上、観音寺が法人格を得てから20年たった1973年の時点で、仏像の所有権を取得したと認められる」として原告側の訴えを退け、仏像の所有権は観音寺にあると認める判決を言い渡したものです。これを受けて日本政府は、韓国政府に対して日本側への仏像の返還を求めていくとのことです。

 もう少し法的に分析しますと、まずプソク寺は、「観世音菩薩坐像」の所有権がプソク寺にあると主張し、所有権に基づく返還請求権を主張したものと思われます。日本の倭寇の時代の話ですので、所有権がプソク寺にあるという主張を裏付ける証拠をどのように出してきたのか興味あるところですが、まあ、プソク寺のものと所有権が認められたとして、観音寺としては、どのようなルートで当該仏像が伝来してきたかはともかく、たとえ不法な方法で当該仏像を得たとしても、日本の民法では、その物の占有開始から20年間、所有の意思をもって、平穏に、かつ、公然と他人の物を占有した者は、その所有権を取得すると規定されているので、観音寺側としては時効取得による当該仏像の所有権取得を主張したものと思われます。1審の地方裁判所は「仏像は過去、正常ではない形で対馬に渡ったとみられる」などとして、韓国の寺への引き渡しを命じる判決を言い渡していますが、上述した様にどのようなルートで観音寺が当該仏像を取得しても、それは時効取得には関係ないという話なのです。だからこそ、控訴審の高等裁判所、上告審の最高裁判所も、当該仏像に対する観音寺の時効取得を認めたものです。(これが韓国の前政権下でしたら、正当な法解釈を捻じ曲げた判決が出たかもしれませんが。)プソク寺にとっては納得いかない判決かもしれませんが、そんなことを言い出したら、大英博物館所有のミイラなど全部エジプトが返せと言ったら返還しなくてはならなくなるでしょうし、世界中に混乱が生じることになりかねません。そもそも、時効取得というのは、現在の状態を安定するために、不公平になるかもしれないことを覚悟で作りだした制度なのです。もっと言えば、たとえ自分の者が他人に盗まれたとしても、勝手に取り戻すことは自力救済と言って、これこそ違法行為、刑事的には窃盗罪になりかねません。

 実際の「観世音菩薩坐像」は写真を見ると金箔などは剥げてしまったのか、グレーの仏体を示していますが、きっと製作された当時は「きらきらしい」仏像であったのではないでしょうか。果たして、倭寇が盗んで日本に持ち込んだのか、正当に贈与・売買により日本側に持ち込んだのか今となっては誰も証明できないものですが、ありがたい仏像としての価値は当時と変わらぬものであり、崇拝の対象であり続けることかと思う次第です。
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