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マンハッタン号事件と江戸幕府の対応

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[マンハッタン号事件と江戸幕府の対応]2013.9.1

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 先日、古文書講座のスクーリングを受講してきました。毎年夏に開催されるもので、今年は、江戸時代後期、ペリー来航の8年前に起きたマンハッタン号事件に関る江戸幕府の対応についての古文書を読むものでした。マンハッタン号事件というのは、アメリカの捕鯨船が太平洋で捕鯨活動をしていたところ、日本の漁師の漂流民を救助し、日本まで送り届けようとしたところ、どこで漂流民を受け取るのか、マンハッタン号が回航した浦賀なのか、それとも鎖国体制下の開港地である長崎なのか江戸幕府の対応がすったもんだした揚句、結局、当時の老中筆頭であった阿部伊勢守正弘が,浦賀での引き取りを決断したという事件です。

 今回受講してまず勉強になったのは、当時の船舶事情でした。江戸時代においては、大船を建造することが禁止されていました。この大船建造禁止令は、当初は、幕府の西国外様大名対策のためともいわれましたが、その立法趣旨がやがて海外との交易(除く、朱印船貿易、長崎出島での貿易)を容易にさせることで鎖国体制に脅威を与えることを防止するためと考えられるようになりました。
 そこで、大船といっても、内航船としては廻船という“大船”は認められるようになりましたが、外航船は建造を認められないということとなり、そのため、船舶の構造としては、帆柱(マスト)は一本、帆は一枚、閉鎖型の甲板は認められないという極めて難破しやすい船になってしまいました。このような事情から、大黒屋光大夫、高田屋嘉兵衛(正確には拿捕?)、ジョン万次郎などの多くの漂流民を生んでしまったのです。

 当時の船の機能別種類としては、貨物輸送目的の廻船と漁業目的の漁船にわけられるのですが、比較的大きい廻船と比べ、日帰りかせいぜい1,2日の漁業しか念頭に入れなかった当時の漁船は小規模なもので、いったん航行不能になった場合、ほとんどのケースで乗組員が死亡してしまい、ジョン万次郎の様に救出されたのは極めてまれだったようです。
 それでは、廻船は、暴風雨などに遭遇した場合、どのようにして危機を切り抜けたかというと、積み荷を沢山積んでいるので、どうしても重心が上に行き不安定なポジションとなっていますから、まずは、安定したポジションになるまで積み荷を海に捨てるということします(この積み荷放出に付いてのリスク分担については、共同海損という海商法上のルールがありますが、長くなりますので割愛します。)。それでもダメな場合は、帆柱を切ってしまいます。帆柱を切った時点で船の推進力を失いますので、どうしても潮に乗ってしまい漂流してしまうということになるのです。

 さてこの事件で法的に問題となったのは、日本の漂流民を救助したアメリカの捕鯨船マンハッタン号からの漂流民の受け取りをどのようにするかということでした。マンハッタン号は、江戸湾の入り口にある浦賀港に回航して、そこで漂流民を引渡すと言われたのですが、当時、幕府は、「薪水給与令」を諸外国に公表しており、同令においては漂流者は長崎においてのみ引取るとしていたので、幕閣の建前論者は、“マンハッタン号も長崎に回航して、同地で漂流者を受け取るべきだ”という意見でしたが、浦賀奉行である土岐丹波守は、“人道的に漂流民を救助してくれて、わざわざ日本まで送り届けようとしてくれたアメリカ船に対して失礼ではないか”と浦賀での引き取りを強く主張しました。この辺り、感心するのは、漂流民の一人から聞き取りをしてその内容を調書にしているのですが、浦賀奉行としては、漂流民がキリスト教との接触をしていないことなどを供述させていたりして、結構涙ぐましい努力をしているのが読み取れます。この調書が役に立ったのか、幕閣の最高責任者である阿部伊勢守正弘は、浦賀での引き取りを決断しますが、その理由というのが結構現在の裁判でも判決理由として使われる様な建付けであり、感心しました。
 すなわち、「薪水給与令」において漂流民の受け取りを長崎に限定している立法趣旨は、漂流民がキリスト教に感化されていないかを、長崎奉行管轄下の専門機関によって調査する点にありますが、今回の漂流民はその様なキリスト教への接触が認められないことから、浦賀で接受しても立法趣旨に反するわけではなく、また、そもそも「薪水給与令」は発布施行されてまだ時間がたっていなかったので、外国船にも周知徹底がなされていない可能性もあること、さらには、人道的に対処してくれた外国船に対する礼遇が重要であることなどを理由として「特段の事情」があるとして特例的に認めるとしたものです。すなわち、法文解釈を立法趣旨に遡って行うことや、必要性・許容性から理由付けをしているというところが、阿部正弘は、現在でも優秀な裁判官になれると感心した次第です。

 日本の近代的裁判は、明治時代になって整備されたというのが定説で、江戸時代の裁判というのは、遠山金四郎見たいのが出てきて、「おれが法律だ」みたいな、また裁判官自身が捜査をして、証拠を提出するような何でもありという人治裁判しかなされていなかったようなイメージがありますが、このマンハッタン号事件を見ますと結構近代的裁判につながることをやっていたようですね。いかんせん、江戸城開城したときに、勘定方らが中心となって公文書をあらかた燃やしてしまったために、現代に伝わっていないことが多いのでしょう。昭和20年の終戦時においても、陸海軍とも重要文書を焼いてしまったために、真実追及ができなくなった(特に東京裁判で)というのと似ていますね。

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