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加山雄三と連帯保証

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[加山雄三と連帯保証]2014.10.1

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 最近、昭和30年代、40年代の映画に凝っていまして、植木等の無責任男シリーズとか、加山雄三の若大将シリーズとかをレンタルして鑑賞しています。若大将シリーズは、話としては寅さんシリーズ並みにワンパターンで、毎回、スポーツ万能の若大将が、何かの拍子にマドンナ(星由里子か、酒井和歌子)と知り合って、お互い良いところまで行くと、ライバルの青大将(田中邦衛)がチャチャを入れてダメになりそうになるが、最後、若大将が大きな試合に勝って関係を修復する(このあたりの若大将の勝利→マドンナとの関係修復の因果関係がよくわかりませんが)というもので、若いころの加山雄三はさすが名優上原謙の息子で、岩倉具視の玄孫、本当に育ちの良い好青年というのがよくわかります。若大将シリーズは、東宝の看板映画となり、加山雄三も順風満帆、絶好調という時代が続きました。

 ところが、1970年になり、岩倉具視の孫であり加山雄三の叔父たる人物が経営していた会社が倒産しました。同社は、茅ケ崎で一大レジャー施設を経営していまして、上原、加山も役員として名を連ね、役員らは金融機関からの借入れに連帯保証していたというものです。実際には、叔父から頼まれて名前だけの役員となり、連帯保証の判を押してしまったというものらしいです。負債総額は、23億円で、担保物件を18億で売却したのですが、元利含め相当額が残ってしまったというものです。
 当時は、役員であり、連帯保証人であった加山は相当マスコミからたたかれ、松本めぐみとの結婚も本当は大いに祝福されるところを何か駆け落ちのように報道された有様で、そのせいもあってか、人気下降気味だった若大将シリーズも打ち切りとなってしまい、一旦表舞台からは引くということになりました。そこから、加山の地獄の生活が続き、連帯保証人としての弁済のために、キャバレー・クラブをドサ回り、一杯のかけそばならぬ一杯の卵かけご飯を妻と分け合い、それでも数年で連帯保証債務を完済してしまったというから立派なものです。

 しかし、連帯保証人として判を押しただけで、加山は一旦は全ての資産を弁済に供し、社会的名声も失い(当時は債務者に冷たい時代だったのですね)、血を吐くような努力をして完済した一方、金融機関は、担保も取り、連帯保証も取り、全額回収できてということですが、この社会的不公平というのはどうでしょうか。加山に限らず、経営者として連帯保証をせざるを得なかった人々、全く会社とは関係ないのに連帯保証をしてしまった人々、何十万という人々が死屍累々としてきたことでしょう。
 さすがに、貸し手側もこのままの状況では社会的正義に反すると考えたのか、全銀協と日商が事務局となり、平成25年12月に「経営者保証に関するガイドライン」を作成公表しました。その概要は、中小企業庁などのHPによりますと、

経営者の個人保証について、
法人と個人が明確に分離されている場合などに、経営者の個人保証を求めないこと
多額の個人保証を行っていても、早期に事業再生や廃業を決断した際に一定の生活費等(従来の自由財産99万円に加え、年齢等に応じて100万円〜360万円)を残すことや、「華美でない」自宅に住み続けられることなどを検討すること
保証債務の履行時に返済しきれない債務残額は原則として免除すること」となっています。

 すなわち、今後は、会社に金を貸すときは、会社の財務状況、将来性を“十分に”審査して、経営者の個人保証を求めないことを原則とすることが謳われているのです。もし、加山の叔父の会社がこのガイドラインの適用を受けられたならば、上記@において、加山、上原たちは連帯保証させられることがなかったかもしれませんし、また上記Bにおいて、加山は自らの資産を全て投げ出したとしても、それでも残る多額の保証債務は免除されていて、ドサ回り生活を送らずに済んだかもしれません。
 しかしながら、同ガイドライン制定後、金融実務において、経営者保証を限定するという慣行が定着したというニュースはまだまだ聞こえてきません。経営者らに連帯保証を求めるという金融実務が、日本においてベンチャーがなかなか出てこない、また、従業員への事業承継も進まないという経済の活力をそぐ大きな弊害となっていることをよく金融機関は認識して、早急にガイドラインを遵守していく姿勢を取ってもらいたいものです。加山のその後の活躍は皆さんご存知の通りですが、あれほどの苦難を乗り切ってもあの明るさは、若大将でデビューしたころと変わらないのは驚きです。
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