賃料減額や不動産関係の弁護士なら神田元経営法律事務所へ
神田元経営法律事務所 TEL:03-6418-8011
平日 9:00〜17:00
お問い合わせ

砂川判決とポツダム宣言

TOP > 砂川判決とポツダム宣言

業務内容

神田元経営法律事務所
〒107-0062
東京都港区南青山5丁目11番14号
H&M南青山EAST301号室
地図はこちら

[砂川判決とポツダム宣言]2015.8.1

シェア
 安倍晋三首相は、我が国が集団的自衛権を行使しうる法的根拠として、昭和34年12月16日に最高裁判所大法廷が判決を下したいわゆる「砂川判決」を挙げています。私が、司法試験受験生の頃の砂川判決の理解というのは、「我が国が固有の自衛権を持つことは憲法9条において否定されず、しかしながら9条にいう「戦力」には、駐留米軍が含まれず、そもそも安保条約のような高度の政治性を有するものについては司法的判断がなじまない。」といういわゆる『統治行為論』の判決であり、集団的自衛権を肯定したものということをいう人はいなかったと記憶します。とはいえ、安倍首相はよく砂川判決を研究しているようですから、今一度最高裁判所の判例検索を繰って同判決文を今一度読んでみました。砂川判決は、ページ数ですと20数頁もありますが、その多くは各最高裁判事の個別意見ですので、大法廷としての判決文は、わずか5ページ半のものです。一度皆さんも読んでみてはいかがかと思います。

 さて、同判決で自衛権のところを説示しているのは次のくだりです。「・・・かくのごとく、同条(9条のこと)は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。・・・」「・・・しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。・・・」だからこそ、我が国は、主権国として持つ固有の自衛権行使のために自衛隊を保持しているのですという論理は導くことができますが、どうもこのあたりの判決文からは、他国が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない我が国が協力して共同で防衛を行うことができるという「集団的自衛権」を読み取るのは困難ではないでしょうか。法的解釈というレベルでなく、中学生あたりが読んでもなかなか安倍首相が感じ取ったような読み方は難しいのではないでしょうか。

 そもそも集団的自衛権というものは、国際法上どのような根拠で認められて(というよりか観念されて)いるのでしょうか。国際連合憲章第51条1文において、「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」と規定されており、国連憲章において集団的自衛権というものが観念されているのですが、この条文の解釈では、安保理が必要な措置を取るまでの限定的な権利行使であるとされています。そうだとすると、中東あたりで米国が武力行使を受けた場合に、国連安保理決議もなく反撃行為に我が国の自衛隊が加わることが限定的な“集団的”自衛権の行使であると言えるのかすら疑問といえましょう。やはり、どのような読み方をしても、そのような場合は、憲法9条1項に反するのではないでしょうか。憲法9条1項は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と規定していますが、もっと中学生でもわかりやすく、必要個所だけにすると、「日本国民は、・・・武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」となり、中東あたりで米国軍に協力して、武力を行使して国際紛争を解決する場合は、憲法違反となると読むのが素直なのではないでしょうか。

 一方、安倍首相は、日本共産党の志位委員長との党首討論において、「ポツダム宣言はよく読んでいない。」と発言しております。我が国の首相が、先の戦争を終結する上で、連合国との間の約束事であるポツダム宣言をよく読んでいないというのは驚くばかりですが、特に読んでいないのは、同宣言6項の「日本の人々をだまし、間違った方向に導き、世界征服に誘った影響勢力や権威・権力は、排除されなければならない。無責任な軍国主義が世界からなくなるまでは、平和、安全、正義の新秩序は実現不可能である。」というところではないかと推察されます。ここを認めてしまうことは、安倍首相の根本の理念を否定してしまうのでしょうか。しかしながら、ポツダム宣言はよく読んでいない、砂川判決は(よく読んで)理解したというのは矛盾しないでしょうか。なぜなら、砂川判決中には、「そもそも憲法九条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が過去におけるわが国の誤つて犯すに至つた軍国主義的行動を反省し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであつて、前文および九八条二項の国際協調の精神と相まつて、わが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である。」と説示しており、ポツダム宣言受諾が戦後日本の第一歩であることは、最高裁判所も認めているところであり、ポツダム宣言はよく読んでいないにもかかわらず、それによって立つとされる集団的自衛権は認めるというのは矛盾しないかと思われるからです。また、上述のとおり、ポツダム宣言を策定した連合国が作った国際連合が認める国連憲章中の集団的自衛権なのですから、ポツダム宣言はわからない(認めない)けれど、集団的自衛権は認めるというのも矛盾していると思われます。

 要するに、集団的自衛権というのが、中学生が読んでも憲法9条に反するのであるから、安倍首相としては、集団的自衛権を合憲的に権利行使したいのであれば、やはり、憲法9条を改正する必要があるのだと思います。ここのところが、一般の(すなわち、右でも左でもない)憲法学者や法律家から、総スカンを食っているところなのでしょう。安倍首相には、判決文は素直に読むこと、自分に不都合な事実からも目をそむけないことを心掛けて頂く必要があるかと思う次第です。
シェア