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[皇室の結婚]2018.9.1

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 秋篠宮眞子内親王との婚約が“内定”(このあたり慎重に表記しないと宮内庁からクレームが来ますので)している小室圭氏が、8月7日、アメリカのフォーダム大学ロースクールに留学するために旅立ちました。その出発に前後して、「秋篠宮としては、現状では、両人の正式な婚約にあたる納采の儀は行えない。」という新聞報道がありました。ネットでは、小室圭氏とその母親の金銭トラブル、および小室圭氏の安定した職業についていないことを問題視して、両人の結婚については反対の意見が圧倒的に多いようです。また、小室圭氏がフォーダム大学ロースクールに入学する際に、皇室を利用したのではないかという点に付いても批判が強いようです。それでも、小室圭氏とその母親から自ら結婚を諦めるような発言は一切出てこず、この点についても世間の風あたりは強いようです。どうやら、秋篠宮夫妻としては、小室圭氏が眞子内親王のパートナーとしては適切ではないと思いながらも、天皇の裁可があったことを重視しているためか、宮側の方から破談とするのに踏み切れないでいるのでしょうか。小室圭氏は、眞子内親王の自分に対する気持ちが変わらないことを頼りに、自分から破談を言い出すことがないのでしょうか。なかなかこのあたりは、人の心の中の問題ですので、読めないところがあります。

 そこで、この問題を法的に見ていくとどうなるでしょうか。そもそも、皇室の人は自由に結婚できないのでしょうか。日本国憲法24条においては、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」と定められており、男性女性両者が合意すれば婚姻が成立するのであり、他に条件は付けられていません。すなわち、日本国民には婚姻の事由が憲法上の人権として平等に保障されているのです。しかしながら、日本国憲法の第1章は「天皇」という条項があります。すなわち、日本国憲法においては、一般の日本国民とは別に「天皇」という特別な存在が認められており、その親族を含めて「皇室」というものが、憲法2条において「第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」と定められているところから、一般国民とは違った特別な存在として憲法上規定されているのです。いわば、憲法14条で定める法の下の平等を憲法自ら例外を作っているのです。ですから、皇室の一員であることから派生する様々な(本人たちにとってみれば)制約は、憲法上認められる例外なのですね。ですから、今般の小室圭氏問題について、「眞子内親王に結婚の自由はないのか!」という意見が(少しながら)ありましたが、結論的にはないとしか言えないのですね。皇籍を離脱したいと言い出しても、それすら本人の自由にならず、皇室会議という国家機関によって認められなければならないという制度になっています。従い、納采の儀が行われないからといって、眞子内親王は小室圭氏と駆け落ちをすることも認められないということになります。

 しかしながら、今回の小室圭氏の問題というのは、やはり何処となく感じられる小室圭氏とその母親の違和感にあるのではないでしょうか。そのあたり、国民も感じ取っている部分があり、それでもろ手を挙げて結婚に賛成するという意見がごく少数になっているのではないでしょうか。そのあたりが如実に比較対象として顕れたのが、高円宮絢子女王と守谷慧氏との婚約ではないでしょうか。図らずもファーストネームが一緒という点はともかく、守谷慧氏は日本を代表する海運会社である日本郵船に勤務していて、母親同士が気心知れた仲であることなどから、小室圭氏との対比が鮮明で、また世論も、絢子女王と守谷慧氏との結婚にはもろ手を挙げて賛成という状況が対照的です。日本国憲法でなぜ天皇と皇室が特別な存在として認められているかというと、マッカーサーがそうしたという事実論的な話を離れて、やはりここも憲法に根拠を認めるとしたら、憲法第1条の「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」になります。日本国憲法制定の過程において、憲法制定担当大臣であった金森徳次郎は、帝国議会議員(帝国議会で審議されたのですね。)の「象徴とは何ぞや?」との質問に対し、「天皇は、国民にとって憧れの中心にいる存在」という説明をしています。金森大臣のこの答弁は非常に言い当てて妙であり、そもそも、大日本帝国憲法において、天皇を統治権の総攬者、および大元帥として位置付けたこと自体が間違っていたことを日本国憲法で本来の天皇として有るべき姿を認めた、もっと言えば明治以前の天皇の在り方に戻したともいえると思います。だからこそ、国民は象徴という位置付けに違和感を感じることなく来て、皇室の方も国民の憧れの対象としての存在であることに努力してきたのだと思います。しかしながら、今回の小室圭氏については、国民も、憲法1条を持ち出すまでもなく、どことなく日本国憲法における天皇・皇室の在り方とそぐわないものを感じ取ったのではないでしょうか。昭和天皇、今上天皇の生き様、家長としての振る舞いなど、どこがどうは言わないものの国民にとっての安心感を与えていたのだと思いますが、小室圭氏の違和感が、眞子内親王と結婚した場合に皇室に対する国民の不安感を醸成するのではないかというものが感じられるからこそ、これほど国民の大多数に反対されているのではないかと思われますがどうでしょうか。憲法第1条をもう一度よく読むと、「この(天皇の)地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とあります。もし天皇および皇室が、国民の総意に基づかない存在となってしまえば、天皇制が廃止されることも法理論上可能なのであり、秋篠宮殿下におかれても、国民の総意にそぐわない結婚を進めることは国民の総意を失いかねないと思われているからこそ、悩まれているのだと思います。
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