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『青天を衝け』渋沢栄一に期待する2021

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[『青天を衝け』渋沢栄一に期待する2021]2021.1.1

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 東京都北区ウオーキングに参加した際、王子の飛鳥山公園で「渋沢栄一史料館」という建物の前を通りました。新型コロナの影響で事前予約しない限り中に入ることができなく残念でしたが、この史料館は、渋沢栄一が息を引き取る最後の邸宅の後に建築されたものだということを初めて知りました。渋沢栄一というと、2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」でその生涯を描くことになり、また、新1万円札の肖像として登用されていることもご存じのとおりです。

 経済人として“日本資本主義の父”とまで言われた渋沢栄一ですが、幕末に一橋家の家臣、すなわち武士であったことは、意外と知られておりません。渋沢栄一は、埼玉県(現在の)深谷市の割と豊かな農家に生まれました。最初は実家の事業を手伝っていたのですが、幕末の青年にありがちな尊王攘夷思想にかぶれてしまい、京都などで志士活動をしたいたのですが、一橋家の家老並であった平岡円四郎の取り持ちで、一橋慶喜(のちの15代将軍徳川慶喜)の家臣となったのです。どのようにして一介の志士(正確には農民であり、武士ではない。)が、御三卿の家臣となったのか、その辺りの事情が大河ドラマでも描かれるのを楽しみにしています。一介の農民が一橋家の家臣に何故なれたかというと、一橋家が他の大名家とは違った成り立ちであることに理由があると思います。一橋家は、田安家、清水家と並んで御三卿と言われます。御三卿というのがなぜ生まれたかというと、八代将軍徳川吉宗というのは、紀州徳川家から徳川本家に入り将軍となったのですが、将軍に推挙される過程では尾張徳川家と相当争った経緯がありました。そこで吉宗は、御三家の尾張、水戸から将軍を出さないようにと考え、自分の直系から、将軍家を継げる資格を持つ御三卿(一橋家、田安家、清水家)を作ったのです。御三卿はあくまで将軍のスペアですから、当初領地をもたず、将軍家から直接屋敷、賄い料をもらっていたので、家臣も必要最小限しかいませんでした。しかしながら、後に、領地を関東地方を中心にバラバラに与えられたので、それら領地経営をするのに人材が必要となったのです。そこで、深谷で家業を手伝うことで、組織運営、事業経営に通じていた渋沢栄一が抜擢されたのだと思います。このあたり、二心殿などと言われ後世の評判が悪い徳川慶喜ですが、なかなか人を見る目があったと思います。なお余談ながら、紀州家出身者からしか将軍になれないシステムを構築したはずなのに、水戸家出身者の一橋慶喜が将軍となって大政奉還してしまったのは、徳川吉宗にとってさぞや悔しいことでしょう。

 一橋家の領地経営で頭角を現した渋沢栄一は、明治新政府にも出仕していましたが、退官して、第一国立銀行(現在のみずほ銀行)の総監役(後に頭取)に就任したことを皮切りに、実業界にて活躍していくこととなります。渋沢栄一が設立に関与した企業は、現在の東京ガス、東京海上日動火災保険、王子製紙、帝国ホテルなど多種多様な分野に及びその数300とも、500ともいわれます。実業界にとどまらず、日本赤十字社の設立など慈善事業、一橋大学、東京経済大学の設立などの教育事業にも関与していたというのは、幾ら91歳まで生きたからと言って驚きとしか言えません。寝る時間はあったのでしょうか。

 新型コロナで官民とも弱っている日本においては、2021年は、渋沢栄一のパワーにあやかって病疫退散、経済復興といきたいものです。しかしながら、渋沢栄一の登場を心配する声もあります。新1万円札の肖像として2024年に登場してくることが予定されていますが、具体的な切り替え日を政府は明らかにしていません。これは、2024年の何時かの時点において、預金封鎖を行い、国民から福沢諭吉の1万円札を取り上げ、強制的に渋沢1万円札に切り替えさせ、その過程で財産税を賦課して莫大な国家財政赤字をチャラにしようというのではないかという穿ったうわさが流れています。万が一にも預金封鎖、新円切り替えで渋沢栄一が登場するとなれば、いきなり評判が悪い新札になるかもしれません。
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