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[伏見桃山]2021.7.1
コロナ禍で本来あまり国内移動も勧められない後ろめたさもある中、久しぶりに京都に一泊で旅行に行ってきました。京都と言っても京都市北部、都心部は学生時代から色々と行っていましたので、手付かずであった京都市南部の伏見エリア、宇治エリア、醍醐エリアを探訪してきました。
日本史において時代を表記する場合、その時代の政権があった場所を表すのが(縄文・弥生時代や、明治時代以降は例外として)原則です。例えば、飛鳥時代は、飛鳥地域に大和政権があったから、鎌倉時代は、鎌倉地域に源氏・北条政権があったから、江戸時代は、江戸に徳川政権があったからです。そこで、ずっと不思議に思っていたのは、安土桃山時代です。安土は、織田信長が安土城を中心としたエリアに政権を布いてしたのでわかるのですが、他方で、何故桃山かということが疑問でした。 豊臣秀吉が政権を保持していた時代ですから、伏見城を中心としたエリアに政権を保持していたのですから、本来「安土伏見時代」というべきではないかと思うのですが、桃山の名称は江戸時代になって廃城された伏見城の跡地に桃の木が植えられ、安永9年「伏見鑑」が発行された頃から「桃山」と呼ばれるようになったことから名付けられたものとのことで、どうも徳川政権が「伏見」という名前を使うのを嫌がったという感じがします。 ということで前書きが長くなりましたが、“伏見”時代の事実上の首都であった伏見エリアに行ってきました。伏見エリアの中心というと、京阪伏見桃山駅、近鉄桃山御陵前駅の周辺ということになります。豊臣伏見政権の中心は伏見城でしたが、何度か焼失・再建の歴史を歩み、徳川時代になり廃城となりました。ところが、元の伏見城花畑跡に昭和39年、遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」が建設され、園内には洛中洛外図に描かれた伏見城を参考にして5重6階の大天守と3重4階の小天守、櫓門などを伴った模擬天守が鉄筋コンクリート構造で造られましたが、キャッスルランドが閉園となったことから、現在は内部に立ち入ることはできず、外部から見学ができるようになっています。 この伏見城から現在の伏見エリアの中心部にかけてが、伏見城下ということになり、多くの大名が屋敷を構えていました。そのため、伏見エリアには、豊臣時代の大名屋敷にちなんだ地名・町名が非常にたくさんあります。例えば地名で言えば、京阪と近鉄の駅で「丹波橋」という駅がありますが、この付近に「桑野丹波守」の屋敷が有り、かけられた橋の名前が由来とされています。また、京阪の駅に「中書島」という駅がありますが、これは豊臣時代に、中務少輔であった脇坂安治が宇治川の川中にある島に屋敷を建て住んだことから、中務少輔の唐名が「中書」であったことに由来し、「中書島」と呼ばれることとなったものです。町名で行くと、書ききれないほどの大名屋敷に由来した町名があります。列挙していきますと、「桃山町正宗」、これは伊達政宗ですね。「桃山町治部少丸」、これは石田治部少輔三成、「桃山町島津」は、島津氏、「桃山町三河」は、徳川三河守家康、「桃山福島太夫」は、福島左衛門大夫正則、「桃山毛利長門」は毛利長門守秀就、「桃山井伊掃部」は、井伊掃部頭直孝、「景勝町」は上杉景勝と、ビッグネームがどんどん出て来ます。町名からわかるのは、伏見城を中心に西側である伏見エリア、南側の桃山エリアというように伏見城をぐるっと囲んだ形で首都が形成されていたことが分かります。 今回の旅では、醍醐寺にも足を延ばしました。醍醐寺というと、豊臣秀吉が晩年催した醍醐の花見で有名です。醍醐の花見は、慶長3年3月15日の一日で催されたのですが、ずっと不思議に思っていたのは、伏見城から醍醐まで行って、日帰りで帰ってこれるのかというものでした。私が持っていたイメージでは、伏見は京都の南、醍醐は山科の南、すなわち京都市街地とは東山で隔たれている地域にあるので、相当往復に時間がかかるのではないかというものでした。しかし、今回、伏見にある中書島からバスで醍醐まで行くルートを発見し、実際のそのバスに乗ってみたのですが、30分もかからずに着いてしまいました。なるほど、伏見城は東山山嶺の南端に所在するので、ぐるっと回りこんで行ってバスで20分強の距離にすぎず、これならば伏見城から日帰りで往復できるということもわかって、実地調査した甲斐がありました。 といったことで、今回の旅は、豊臣政権ゆかりの地を多く巡った旅でしたが、やはり徳川時代に前政権の遺物を相当消し去ることに注力されたので、現代においてもあまり観光名所となるところは多くないのでしょう。しかしながら、徳川政権も石田三成の名前まで出てくる伏見の町名までは変えることができなかったのか、それも不思議と言えば不思議です。 |
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