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司馬遼太郎と松本清張

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[司馬遼太郎と松本清張]2023.6.1

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 今年のゴールデンウィークに、東大阪の司馬遼太郎記念館を訪問しました。最寄りの駅は、近鉄奈良線の八戸ノ里という特に都会の駅でもなく、郊外の言ってみればどうということもない駅で、司馬遼太郎ほどの稼ぎがあったならば、阪神間の六麓荘でも、大阪の帝塚山でも豪邸を建てられただろうに、生駒山のふもとの河内の普通の町ということでまず驚いたというより意外でした。八戸ノ里の駅から歩いて10分くらいのところに記念館があり、元は司馬遼太郎の自宅があったところで、目の子で300坪くらいあるかと思いますが、建築家の安藤忠雄が記念館の設計をしたということでなかなかモダンな建物でした。

 記念館の中に入りますとまず驚くのは1階と地階との吹き抜けの壁一面に司馬遼太郎の蔵書が図書館のように保管されており、その量に圧倒されます。司馬遼太郎は、一つの本を書くにあたっては、例えば「坂の上の雲」を書くにあたっては日露戦争に関する書籍について、東京神田神保町の古本屋に「日露戦争に関する本を全て送ってほしい」と依頼し、その依頼後は神保町には日露戦争関係の本が一冊もないと言われたとのことです。記念館の奥には蔵書の保管庫があると思われますが、仄聞するところによると司馬遼太郎の蔵書は6万冊ともいわれます。

 話変わりまして、京王井の頭線を渋谷方面から吉祥寺に向けて乗っていますと浜田山駅を越えたところで左側に細長い土地の豪邸が見えてきます。これが松本清張の自宅であったということは最近になって知った次第ですが、司馬遼太郎と同じく、松本清張ぐらい印税で稼いでいた人であれば、まあ一応は高級住宅街とはいえ浜田山の線路沿いの土地を買わなくても、自由が丘や田園調布に豪邸を建てられたと思うところです。松本清張については、北九州に既に記念館が開設されているので、浜田山の松本邸が記念館になることはないかもしれません。松本清張も膨大な蔵書を有していたことで有名であり、仄聞するところによると、蔵書数は2万3000冊ということです。やはり、浜田山の松本邸にはちょっとした図書館ともいえる書庫があるとのことです。

 両巨頭の邸宅に共通するのは、必ずしも一等地とは言えないが、都心からは離れて著作に適した閑静な住宅地にあるということでしょうか。松本邸については、井の頭線の線路沿いにあるので電車が通るとうるさかったと思うのですが、両邸宅とも膨大な蔵書を保管するための図書館並みの書庫があったということでしょうか。

 また、両巨頭に共通して言えるのは、幅広い分野に知識を有し、“賢人”というに値するということではないでしょうか。司馬遼太郎は、平安時代から明治時代までという幅広い分野において多数の著作を書きあげました。松本清張に至っては、古代史から現代史までの歴史分野のみならず、皆さんよくご存じのサスペンス系小説を多数書いています。さらに両者に共通するのは、両巨頭とも小説家になる前に社会人経験があるということです。両者とも職種は違えど新聞社に勤務し、それなりの経験を積んだ中堅のベテランとなってから小説家に転向しているということなのですが、両者ともそこからおびただしい数の作品を書きあげています。司馬遼太郎については6万冊、松本清張については2万3000冊とすべてに目を通したわけではないと思いますが、それだけの読書量に加えて執筆の時間ということで、時間がいくらあっても足りなかったのではないかと思います。本当に両者とも一つの作品を書くにあたっては書籍のみならず、綿密な調査をしていたことは各作品を読めば自明のことに思われます。

 両者とも内容の濃い作品を残しているだけに、私は両者とも相当読んだにもかかわらずまだ全作品を読み切っていません。同じ本でも二度、三度と読んでいくと、一度目では見えなかったものが見えてきますし、さらに考えさせられることも出てきて、とても全作品を読み切るというところまでにはいかなそうですが、両“賢人”の表面だけでも触れることができて幸福感を得ているこの頃です。
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