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[光る君へ]2024.11.1

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 NHKの日曜夜の大河ドラマ「光る君へ」は、当初、戦国時代や幕末の話題が幾らでもある時代と比べて平安時代という“退屈な”時代について、1年間話が持つのかと思っていましたが、もうあと2か月のところまで来てなんだかんだと言って話が持っているのは感心しています。もちろん、主人公紫式部と藤原道長の二人が“がんばって”いることもさることながら、脚本家の大石静さんは、主人公二人の脇を固める人たちを実に生き生きと描いていると思います。左大臣藤原道長の“圧”を感じながらも帝としての矜持を保とうとする一条天皇や、道長に政治の実権を奪われて半分狂ってしまったような藤原伊周は、俳優らの好演技からよく存在感が出ていると思います。さらに、日本史に興味ある私として存在感を感じるバイ・プレーヤーたちは、藤原伊周の弟である藤原隆家、中納言となった(最終的には右大臣まで出世する)藤原実資、藤原道長の正妻の女房である赤染衛門ではないかと思います。

 まず、ドラマでは竜星涼さんが演じています藤原隆家ですが、摂政関白藤原道隆の四男として生まれ、11歳で元服して従五位下に任ぜられ、その後も父親の威光で順調に昇進を重ね、995年に権中納言に任ぜられますが、まもなく後ろ盾であった道隆が亡くなります。政治権力は、道隆家から藤原道長に移り、隆家ら兄弟も冷や飯を食べ始めたころ、996年正月に兄の伊周の女性関係に関連して、隆家は従者の武士を連れて花山法皇の一行を襲い、法皇の衣の袖を弓で射抜くという事件を起こしました(長徳の変)。全く以て乱暴なふるまいの隆家ですが、このことを藤原道長に利用され、隆家は出雲権守に、伊周は大宰権帥に左遷されてしまいました。その後、隆家は復権したのですが、1011年、三条天皇の践祚に際して、父・道隆や、兄・伊周が没し、有力な後見人がいないことが理由で甥である敦康親王の皇太子就任が実現せず、道長の外孫である敦成親王(のち後一条天皇)が春宮となり、中央での政権中枢に入り込むチャンスがこれで無くなってしまいました。1012末頃から隆家は眼病を患い、出仕や交際もできず邸宅に籠居するようになりました。大宰府に眼の治療を行う唐人の名医がいるとの話を聞きつけて、隆家は進んで大宰権帥への任官を望み、任じられました。在任中の1019年に女真族の刀伊の入寇が発生しました。刀伊が対馬・壱岐に続いて博多を襲いますが、ここで隆家は総指揮官として部下らを指揮してこれに応戦・撃退したという大手柄を立てることになります。私が驚くのは、確かに長徳の変などで、上皇に弓を引くような乱暴者でしたが、しょせん公家は公家ですから、そんな外国軍の侵略時は逃げ惑うかと思いきや、先頭に立ってこれを撃退したのですから、大したものです。兄である伊周の家系は途絶えましたが、隆家の家系は明治まで続き、何家も華族となりました。隆家の目が悪くならなければ、女真族の刀伊に九州あたりが侵略されていたかもしれません。

 次に、ドラマではお笑い芸人の秋山竜次さんが演じている藤原実資ですが、彼は歴史上、「小右記」という日記で有名です。藤原実資は、藤原北家嫡流である小野宮流の膨大な家領を継ぎ、有職故実に精通した当代一流の学識人として有名でした。大河ドラマでも藤原道長に対して、筋を通した態度を貫き、権勢に阿ることがない人との評価を当時から受けていました。最終的に従一位右大臣に昇りましたので、実資の残した日記は、小野宮流の右大臣の日記ということで、「小右記」と呼ばれました。小右記は、実資の若いころである蔵人頭の時代から右大臣になるまでの長期間にわたって膨大な日記を残し、特に儀式典礼についての記述を残したことに歴史的意義が認められ、この時代の第一級資料としても価値を認められるのです。「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」という有名な道長の和歌が記述されていたのも小右記です。藤原道長の圧倒的権力に対して、決して阿るのではなく、言うべきことは言うという頑固一徹親父として生きた実資の人生は、小右記という膨大な日記を残していたからこそ、現代にも伝わることができたと言えます。

 最後に、赤染衛門です。大河ドラマでは宝塚出身の凰稀かなめさんが演じています。赤染衛門は、決して上級公家とは言えない大隅守赤染時用の娘として生まれ、成長後、左大臣源雅信邸に出仕することとなり、藤原道長の正妻となった源倫子に仕えることになりました。道長・倫子の娘である藤原彰子が一条天皇の中宮となったことから、内裏においても彰子に仕えており、宮中のサロンにおいて、多くの女房たちと親交を深めることとなり、大河ドラマでも紫式部・和泉式部・清少納言らとの交際が描かれています。赤染衛門が歴史上に名を残すのは、藤原氏の摂関政治について描写した歴史物語である「栄花物語」を書いたことです。「栄花物語」では、藤原道長に対して批判的であった「大鏡」と違い、どちらかと言えば藤原道長を称賛する基調となっているという評価です。栄花物語の中で、藤原道長が創建した栄耀栄華の極みとしての法成寺の壮麗さを伝えており、道長が法成寺阿弥陀堂本尊前で大勢の僧侶に囲まれ極楽浄土を祈願する儀式の中で臨終の時を迎えたとされたことも描かれています。藤原道長については、「御堂関白記」もありますが、「栄花物語」も重要な歴史的資料となっています。

 以上、「光る君へ」のバイ・プレーヤーのうち三人を紹介しましたが、意外と歴史的な意義のある業績や資料を残したということで、日本史を学習すると必ず出てくる人たちですので、今後の大河ドラマの中での活躍が楽しみです。
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