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天皇の生前退位問題

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[天皇の生前退位問題]2016.9.1

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 8月8日、天皇陛下がビデオメッセージで、自らの生前退位についてのお考えを広く国民に示されました。その内容を拝見すると、82歳の心臓手術も経験したにも拘らず、年間200日も公務という“仕事”をして、海外・国内にも出張もしなくてはならないという老人の早く引退させてくれという悲痛なメッセージであったと思います。普通の下々の感覚で言えば、引退をされて健康に留意された残りの人生を全うされるのが当然と言えましょう。

 しかしながら、現在の皇室典範には、皇位の継承はあくまで今上天皇が崩御されることを契機とすることしか規定されておらず(第4条)、終身天皇を務めなければならないということで、明治憲法下に作られた皇室典範を受継しているこの継承方式については、時代錯誤感が否めません。では、生前退位の例はというと、皆さんご存知のとおり、平安時代、鎌倉時代には、上皇が存在しました。上皇というのは、正確には太上天皇(だじょうてんのう)といい、天皇が生前に退位した場合の地位であり、出家もしていると法皇と呼ばれていました。歴史上最後の上皇は、江戸時代の光格上皇であり、それ以後は上皇となった天皇は存在しません。

 上皇制度を認めない、すなわち終身天皇制度を主張する人は、平安時代の白河上皇(法皇)などのように、天皇の指名権を持ち(天皇指名権を持つ上皇を「治天の君」といいました。これが濫用されたために保元の乱が起きたと言われます。)、藤原氏の関白という権力行使の制限を受けないフリーな立場で政治を行うことができたため、天皇と上皇という二元政治による弊害が起こりうるということを理由に挙げています。しかしながら、そもそも現行天皇は、日本国憲法において、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」であり、政治的権力を持たない存在なのですから、そもそも上皇としての政治的権力を観念すること自体論外なことです。何よりも、そのようなことを主張する人々は今回の天皇家以下のビデオメッセージをどのような気持ちで受け止めたのでしょうか。天皇も生身の人間であり(戦前の神格化された天皇という地位を、昭和天皇は昭和21年1月1日に人間宣言を行うことで否定しています。)、年も取れば病気もすることを考えないのでしょうか。天皇というのは、憲法に規定された国事行為などの公務を粛々と行うだけの存在と考えるのは、戦前のまさに軍部や右翼が排除した天皇機関説そのものを認めてしまうことになり、天皇を持ち上げるだけ持ち上げて引き下ろすことにほかなりません。ましてや、今回のビデオメッセージが、天皇の政治権力行使ではないかという議論は、論外でしょう。

 やはり、天皇陛下の悲痛な叫びを国民としては真摯に受け止め、何とか激務から身軽になって頂きたいということで、皇室典範を改正していく必要があるかと思います。皇室典範というのは、戦前は大日本帝国憲法と同格もしくはそれ以上の存在という位置づけでしたので、畏れ多くも帝国議会で改正などできなかったのですが、日本国憲法下においては、皇室典範も法律の一つであり、国会で議決されれば改正できるのですが、日本国の存立スキーム(昔流で言うと「国体」なのでしょうが)に重大な影響を与えるものですから、(憲法でも改正できる安倍政権下でも)やはり慎重な審議・改正のプロセスは必要とされましょう。かといって時間をかけている間の天皇陛下の健康状態に配慮すべきことからすれば、今上天皇のみに適用される時限立法、特別法とすることが一案かと思います。時限立法、特別法の内容としては、@太上天皇制度の設立、A現在の皇太子に男子の子がいないので、秋篠宮を皇太弟とする措置が必要かと思います。@については、上皇のイメージが古臭いという意見もあるようですが、「上皇陛下」として呼称を確立すれば特段違和感はないように思います。使っているうちに慣れるということでしょう。

 問題は、Aです。実は、天皇陛下の今回の生前退位については、天皇陛下のメッセージに深い意図があるのではないかと穿って見ております。上述しました光格上皇というのは、色々な意味でエポックメーキングな天皇・上皇でありました。実は、光格天皇は、閑院宮という宮家から天皇即位された方で、そのためか、“中世以来絶えていた朝儀の再興、朝権の回復に熱心であり、朝廷が近代天皇制へ移行する下地を作ったと評価されている”(ウイキペディア)のです。「天皇」という諡号も、実は光格天皇のときに確立したと言われています。なによりも、第114代中御門天皇の皇統は、第118代後桃園天皇の崩御により途絶え、傍流であった閑院宮家の親王であった光格天皇が即位したということで、皇統断絶を防いで、現在の天皇家まで繋いだという天皇です。ところが、光格天皇の即位時に、まだ父君である閑院宮典仁親王が生存されていたので、光格天皇が典仁親王に「太上天皇」の尊号を与えたいと意向を示したことに対して、江戸幕府との間で問題が起きました。幕府としては、天皇にもなっていない典仁親王は、太上天皇の資格がないということで拒絶しましたので、朝廷と幕府との間で緊張関係が生まれたこと(歴史の教科書では、「尊号一件」という事件名で出てきます。)も、光格天皇が天皇制というものを再定義することのきっかけになったとも言われています。この事件が、幕末の尊王攘夷運動の原点という人もいます。光格天皇は、幕府との間のパワーバランスに疲れたのか、生前退位し、息子の仁孝天皇が即位して、崩御されるまでは太上天皇となったわけです。これらの歴史的事実に思いを馳せられていたのか、天皇陛下は、現在皇統を継ぐ資格者(皇嗣)として、秋篠宮悠仁親王しかいないことを皇統継続の危機と強く危惧されているのではないでしょうか。今の皇太子が天皇として即位した場合、その後の即位は悠仁親王がということになると閑院宮の父君の問題(尊号一件)が起きないか、すなわち天皇にならない親王だが天皇の父となる秋篠宮の処遇問題、さらには、閑院宮のように別皇統を立てることでいわゆるスペアとして皇統をつないでいくために、皇太子家の愛子内親王が成人された場合に女性宮家を創設すること(さらには女性天皇、女系天皇問題)についての問題提起を、今回の生前退位問題においてされているのではないかとおもうのです。女性天皇問題、女系天皇問題が、悠仁親王誕生でいつの間にか立ち消えとなったことについて、一番の当事者である天皇陛下が宸襟をお悩ましになっていると想像するのは難くないと思う次第です。
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