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仮想通貨は信用できるか?

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[仮想通貨は信用できるか?]2017.10.1

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 17世紀、オランダでチューリップ・バブルという現象が起きました。ネーデルラント連邦共和国において、当時のオスマン帝国から輸入されたチューリップ球根の価格が異常に乱高下したというものです。バブル当時、チューリップ1個当たり職人の年収の10倍以上の価格で取引されたとのことです。チューリップ・バブルは、記録に残された最初の投機バブルと言われています。バブル終焉が到来し、投資家の多くはチューリップ価格の下落により破産したということです。今になって思えば、いくらチューリップとはいえ、職人の年収の10倍といえば、現在価値で3000万円以上にはなるわけで、10日間花が咲いたとして、1日あたり100万円も出すことがいかにバカバカしいかが分かったので、バブルがはじけてしまったのでしょう。

 物であれ、貨幣であれ、そのモノに価値があり、その価値が大多数の人間に「信用」されておれば、価値暴落ということにはならないのが経済です。もっと言えば、そのモノに価値すらなくても、そのモノが大多数の人間に信用されておれば、“価格”は維持されることとなります。
 例えば、日本銀行券というのは、確か1万円札でも22円のコストで製造できるということです(さすがに日本銀行が正確なコストを公表しないでしょうが)。言ってみれば、一万円札というモノ自体にはほとんど価値がないにも拘らず、大多数の人は、日本銀行という“信用”できる機関が発行しているからこそ、1万円のモノとして有り難く流通させているということです。もし日本国が金貨しか発行しないとなると、日本国として保有する金の量しか、もっと言うと保有する金の価値しか通貨を発行することができないということになります。
 そうしますと、経済が発展して、貨幣需要が増大するときには、貨幣が足りないことになり、いわゆるデフレとなってしまいます。まさに、元禄時代がその状況にありました。すなわち、佐渡金山の産出量も低下し、また貿易による金銀の海外流出も続いていたので、発行できる貨幣量に限界があったわけです。その一方で、江戸時代の町人経済の発展により、貨幣に対する需要は増大したことから、市中に十分な貨幣が流通しないため経済が停滞する、いわゆるデフレ状況に陥っていました。そこで、荻原重秀が勘定奉行となり、貨幣改鋳政策を取ることになりました。荻原重秀は、政府に信用がある限りその政府が発行する通貨は保証されることが期待できる、したがってその通貨がそれ自体に価値がある金や銀などである必要はないという国定信用貨幣論に基づき、市中に流通する貨幣を増やすために、金・銀の含有率の高い慶長金・銀を改鋳して金銀の含有率を減らした元禄金・銀に切り替えたのです。含有率を低い貨幣に切り替えることで、幕府の改鋳差益金は約500万両にも及んだということで、荻原茂秀は田沼意次と並ぶ江戸幕府の悪者官僚の代表となってしまったのですが、決して経済政策としては間違っていなかったのです。荻原茂秀失脚後の新井白石による経済引き締め政策の方がデフレ状況を引き起こしてしまうなど、よほど問題が大きかったと言われます。

 しかし、荻原重秀の貨幣改鋳が“悪い”政策だったとしても(荻原重秀は、貨幣は瓦であっても良いとまで言い切っています。)、“少しは”金も銀も入っていた金貨・銀貨であったわけですし、まったく金銀との兌換を予定しない(現在の日本銀行券がそうですが)貨幣で物理的な価値が全くない紙幣であったとしても、江戸幕府の経済力なり、日本銀行を通じた日本政府、日本経済の裏付けでもって発行されているわけです。ですから、その信用の裏付けが存在する限り(正確に言えば、市民がその貨幣の信用があると信じている限り)、価値は維持されるわけですが、その信用の裏付けがなくなった瞬間、正確に言えば、市民がそのものに対する信用がなくなったと思うようになった瞬間、大暴落が起きるのです。理屈で言えば、大暴落が起きても金貨、銀貨で言えばその含有する金、銀の価値で下げ止まる、チューリップで言えば町の花屋で売買する程度の価値で下げ止まるわけです。紙幣だと底なしになり、第一次大戦後のドイツのマルクのようにパン1個を買うのに何兆マルクということになりかねませんが。日本円も、アベノミクス、黒田バズーカで市中で必要とする以上に貨幣が流通しているので、市民の日本円に対する信用がなくなった瞬間、インフレが始まる恐れがあると言えます。

 ましてや、現在流通されている仮想通貨、例えば、ビットコイン、イーサリアムについては、紙どころか、コンピューターで創出された単なる数式です。もっともらしいことを言ってあたかも価値があるかのように売買を奨める輩がいますが、仮想通貨に価値はないのです。仮想通貨を創出した人が連帯保証をするわけでもなく、管理をする人もなく、現在市場で仮想通貨を売買している人たちは、価値がないことを前提に(無価値であることを知っていればマネーゲームとして、知らなければマネーゲームの被害者として)単なる数式を売り買いしているのです。それに対して、仮想通貨は中央銀行がなくてもその取引を全てトレースできるのであり(そのことをマイニング(発掘)というらしいですが)、インチキはできないという反論がありますが、いくらトレースできても信用というモノは瞬間に消えるものです。また、偽札を作る人がいる限り、偽仮想通貨ができないという保証はどこにあるのでしょうか?仮想通貨を創出した人たちすら保証していないのに。

 もっとも仮想通貨の場合、偽通貨を作る必要すらありません。自分で新しい通貨を創出し、それをICOと称して(あたかも株式の上場のように)、特に仮想通貨が価値のないことを知らない人に売りつけてひと儲けできるのですから。何でも仮想通貨はすでに700種類以上もあるようです。そのうち、お年寄りに「仮想通貨を買いませんか。」という仮想通貨詐欺が出てくるのを危惧しています。だからこそというわけではありませんが、中国の金融規制当局は、「経済および金融の秩序を著しく乱す」として、ICOの全面禁止まで打ち出しています。中国の規制当局は、大部分のICOを「金融詐欺、あるいはネズミ講」のような存在と位置づけていますが、ごもっともだと思います。ICOについては、中国当局も見る目を持っていますね。もっとも、中国当局は、中国元を信用しない中国国内の金が仮想通貨に流れることを危惧しているからの規制ですが。

 チューリップは、いくら暴落しても現物さえあれば翌年に花を咲かせてくれて人々の心を和ませてくれることで価値があります。仮想通貨が暴落した後、何の花が咲くのか数式という抽象物を愛することができる人は、小川洋子の小説の中ぐらいしか存在しないのではないでしょうか。
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